こんにちはいっかいです。
芸術を楽しんでいただくために、良し悪しを分りやすくご紹介できればとこのブログ書いてます。
芸術作品を作りたいとか見て理解したいというときに参考にしていただければと思います。
芸術論について誰にも負けたくないとか、論破したいとかそういう性質のものではないので予めご了承下さい。
気楽に読んでもらえればと思います。
レオナルド・ダ・ビンチ
今回はレオナルド・ダ・ビンチについて書きたいと思います。
レオナルド・ダ・ビンチについては物凄く研究されているので、詳しく知りたい方はネットで調べて下さい。あくまで、私の見解をご紹介します。
レオナルド・ダ・ビンチは誰もがご存知の通り、多彩な人でした。
色々なことを考えたり調査したりしていました。
・ヘリコプター
・人体図
・戦車
・ベアリング
・解剖学
超天才の彼ですが
私にとってレオナルド・ダ・ビンチに関する興味はやはり芸術家としてのレオナルド・ダ・ビンチです。
キリスト洗礼
師匠のヴェロッキオと共同作で描いた絵で
向かって左側の天使の部分をレオナルドが描き、あまりの上手さにヴェロッキオが絵を描くのをやめてしまったという有名な絵です。
レオナルド・ダ・ビンチは物事を徹底的に調べて、その調べたことにのっとって絵を構築していきました。特に人体の構造についての調査は実際に自ら死体を解剖するほどでした。
ミケランジェロの最後の審判にでてくるようなマッチョな老人を描くようなことはせず、非常に科学的に捉えた人体を描きました。
荒野の聖ヒエロニムス
モナ・リザ
レオナルド・ダ・ビンチの絵は有名なものが何枚かありますが
すっ飛ばしてモナ・リザを見てみましょう。
最近の研究で面白いことが分ったらしいのです。
右目で見た場合と
左目で見た場合の立ち位置で
モナ・リザを弟子と同時に描いていたらしいのです。
確かにこの説に私自信が共感するところは左目で見た場合青っぽく
右目で見た場合黄色ぽいと云うところです。私の目もそんなです。
今日様々な研究がされていてとても面白いのですが
モナ・リザを見たときに私が感じていることは全く違います。
私が何を捉えたいかというと芸術性に他なりません。
モナ・リザのどこが絵画として良いのか、あくまで私の意見ですがご紹介します。
・まずテーマです。直感的に感じるのは慈悲深さです。慈悲深さとはなんでしょうか?
母の子に対する愛(愛が薄い人もおりますが)、人を包み込むようなおおらかさ、傷ついた人を救うような優しさ、やわらかさ、無償の愛など。慈悲という言葉の感覚は人それぞれの人生観により、その重要性が違ってきますが、高度な精神性を表現するときにこの『慈悲』というテーマは重要なものです。
・モナ・リザを描く際にスフマートという技法が使用されています。それは輪郭線がほぼ無く
陰影のみで形が構成されているのです。うす塗りを何重にも重ね、塗っては乾かしを繰り返します。また、手の平の親指の腹(付け根部分)で絵具を塗ります。手で絵具を塗ったことのある人は気づくかもしれませんが、筆で描いたときよりもやわらかい表現ができます。(絵具には毒性があるのでお勧めしません。試すなら自己責任で)
・そういった、精神性を表すのに適した技法を使用していると私は考えております。
・また、画面全体が茶色ぽく色調を抑えて表現していることに着目して下さい。これは日本で言うところの侘・寂(わびさび)と共通するものだと私は考えております。雅(みやび)に対する侘・寂、ルネッサンス美術のようにきらびやかでゴージャスな世界に対比して色調を押さえた表現。もう少し噛み砕いて説明しますと、きらびやかでゴージャスな世界はある意味、見栄だったり、権力の象徴で物質的で利害を重視している世界。それに対比して侘・寂は人生の本質や価値、精神的な世界に重きを置いたもの、と言えると思います。
・モナ・リザは人が人生の中で本当に追い求めるべきもの、芸術家が追い求めるべきものを示した絵だと私は考えます。
以上私の考えるレオナルド・ダ・ビンチでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今後はもう少し固くない、楽しめる芸術も紹介してゆくつもりです。
宜しくお願いします。
注)本文中の雅な世界も人間の本質の一面です。私は忌み嫌うべきものではないと考えております。