こんにちはいっかいです。
簡単に芸術を楽しめればと思いブログを書いてます。
気楽に読んでいただけたら幸いです。
今回は性表現について説明します。
芸術で『性』を表現するには色々と気を使うところがあります。
それは性というもの自体をどう考えるかと言うことに他なりません。
はじめてヌードを描くときには多少の抵抗感があるかもしれません。
芸術家がヌードを描くときはあくまで形として捉えています。女性の胸なら「丸」としてのボリュームとして捉えています。また、単なるエロを目的とした絵にならないように、裸を描いているのにエロさをかもし出さないように気を使っています。
ヌードなら、形としての美と内面の美を捉えることが目的です。
アングル『泉』
アングル『グランド・オダリスク』
アングルは私の大好きな画家です。
子供の頃に『泉』の本物を見ましたが、やらしさというものは微塵も感じませんでした。
ただただ美しいし、水の表現が本物のようで、こんな絵を描けるんだという驚きでいっぱいでした。
ヌードを描くときにアングルのように描けなんて言ったらそれは無茶ぶりすぎます。
ある程度絵を描く事が出来る人は描ける気になっている人は多いかもしれませんが本質的になかなか描けるものではありません。
性を表現する
では、性表現をどう考えれば、本質をはずすことなく表現できるのでしょうか?
まず、最悪な表現を箇条書きします。
・エロ全開
・グロテスク
・暴力的
・汚い
これらは、性というものを理解できていない人がやってしまうありがちな表現です。
性というもの自体をどう考えるかということが大切になります。
まず、性を考えたとき大切なことは『思いやり』です。
例えば、男性が女性と付き合う際には必ず思いやりや優しさが必要になります。(金目的は例外としてw)相手に対する尊敬心があれば、自然に思いやりの気持ちが生まれてくるものです。
『性』を表現するに当たって、思いやりは大切です。
場をわきまえずに公共の場でエロ全開で表現したら、それは勘違いヤローです。芸術をド勘違いしてるにほかなりません。エロを求めていない人もいます。そこへエロ全開で来られたら迷惑でしかないのです。
グロテスク、暴力的、汚いも共通です。ようするにエゴがそのまま現れてしまっている最悪の状態です。性を考えた際に『エゴ』を押し通すようなことは最悪の行為です。
『性』を正しく理解しましょう
いわゆるSEXを含め性表現をするにあたって
正しさとは何でしょう?
・相手に対する思いやり
・相手を深く理解する行為(言葉だけのコミュニケーションだけでは理解できない相手の内面を知ることができる行為)
・相手の精神的な傷を癒す行為
・快楽による喜びを分かち合う行為
・相手との精神的結びつきを再確認する行為
(・子孫繁栄、またそこから生まれる喜び)
など
性を表現するにはまず性の本質を正しく理解することです。
そして、そこに『エゴ』がないことが重要です。
ピカソ『画家とモデル』
ピカソの表現でモデルのヌードを描いている作品が多くありますが
芸術としての本質をはずすことはありません。(ピカソの私生活ではかなり問題があったようですが・・・汗、絵の中では本質をしっかりと捉えています。)
形状の美、内面の美を正しく理解し表現しているのです。
ピカソの絵で面白い絵を紹介します。
おしっこをする女
これはタイトルからするととんでもない絵です。
しかし
絵を見るといわゆる『エゴ』はそこには存在しません。
ものの見事に芸術として成立させているのです。
線のリズム細い太いの変化、曲線と直線のバランス、
色の塗り方の変化などなど
これは、『性』そのものを深く理解し、芸術そのものを深く理解しているからこそなせる技です。
芸術かそうでないかを見極めるには、そこにエゴが含まれていないかどうか、思いやりがあるのかどうかが重要なポイントになります。
色々絵を見ていく中で参考にしていただけたらと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。