こんにちはいっかいです。
久々に芸術に関してブログを書こうと思います。ちょっと上級者向けなのでつまらなかったらごめんなさい。読み飛ばしてください。
芸術について詳しい人なら絵を描く際に自然に形状が左右対称になることを避けます。
それは形状(面)に対して変化を与えるためです。例えば左右対称の花瓶があったとしてそれを絵に描くとき、当然絵を描く事が上手いので写実的に描くことが出来てしまいます。しかし、そんなつまらないことはしません。
左右対称にならないようにさも、自然に絵が下手でそうなってしまったかのように描くのです。それは変化を与えると云うことです。
ところで、最近思うことは、左右対称にすると大きさを感じるということです。左右対称の面は変化が少なく動きがありません。そのため、大きさを感じるのです。
また、無機質な線を使うことでより完成されたなじみやすい絵になります。なじみやすいというのは人が見て気に入りやすいということです。
その二つの要素をわざと使うということがありなのではないかと考えるようになりました。
ここで問題なのが、絵が中途半端に描けて芸術に詳しくない人が、変化を理解せずに描いた絵とあえて左右対称に描いた絵に違いがあるのか?ということです。
もちろん上級者は、あーわざと大きく見せるために描いたんだなと分るところですが、例えば作品が1枚しか無かった場合には、その判断が出きないのです。
数枚の絵を見ることによって、あーわざとかと理解できるのです。上級者が見てもその状態ですから、そういった表現を素直に取り入れて運が悪いと、あーこの人変化をわかってないなと判断されてしまうのです。
上級者に下手だと思われてしまうというリスク?をおかしてまで、そういった表現の可能性を見てみようかどうしようか、とても悩ましいです。
プライドを捨てて、新しく感じたことを試していくことが重要なのかもしれません。いろいろ試して、失敗したら他をかんがえればいいことです。可能性を追求し続けるしか無いですね
いつか、誰かに届く事を信じて。