こんにちはいっかいです。
今日は宗教画を描くことについてお話したいと思います。
※芸術好きの方対象の記事になっております。つまらない場合は読み飛ばしてください。
本当に追求すべきは
上手い、下手、そこばかり追求するのは2流です。もしくは3流。もしくはそれ以下。
本当に追求すべきことは?
「精神性の追求」
これは芸術家にとって大切なものです。
ようするに「中身」だったり「人生観」というもののベースになるものは「精神性」なのです。
何かの宗教団体に所属しろと言っている訳ではありません。独学で十分です。何か精神性のベースになるものが必要だと思います。そういうものがない人が表現したものは薄っぺらいというか瞬間的にはすごく栄えるものができるのですが、芸術のように普遍的に色あせないものを作ることはできないのです。それは時代がどんなに進んでも本質的な部分は変わらないからその本質をより深く理解することが大事なのです。
宗教画を描く
さてここから本題ですが宗教画を描く場合、というか仏教画を描く場合、さらにそれを芸術として表現する場合についてお話したいと思います。
仏教画を芸術として表現するにはある程度、仏教を勉強する必要があるでしょう。それは、仏教画は意味を持つ場合が多いのでおさえるべきところをおさえていないと単なるでたらめになってしまうからです。
どこをおさえるべきかは勉強具合によってそれぞれ考え方の違いはあるでしょが私の場合を説明します。
おさえるところ
・手印(しゅいん)
手印はその菩薩(ぼさつ)なり如来(にょらい)なりが何を表しているのかもっとも大切な部分です。これをしっかり表現しないと何を言いたいのかがわかりません。手印がある場合には具象化はあまりしないで印が認識できるようにしなければなりません。
・法具(ほうぐ)
法具には色々なものがあります。意味合いが近いものもやほぼ同じものもあります。それぞれの意味を理解し場面場面で使いたい場所に配置する。何の法具か認識できるようにする必要がありますが多少具象化できるのではないでしょうか。
・冠(かんむり)
冠の形はこだわる必要がそれほどないと思いますが菩薩や如来の知恵を表している重要なものです。首飾りや耳飾、腕飾りも同じような意味ですが、冠はちょっと別格のような気がしてます。冠はお経の中にもちょいちょい出てきて知恵をさずかったり体得したことを表すために表現されます。
曼荼羅を描く場合は中台八葉(ちゅうだいはちよう)
曼荼羅を描く場合によくありがちなのが、丸い円を曼荼羅風に配置して曼荼羅を名乗っているものです。これは良くありません。曼荼羅の本質部分は中台八葉です。そこが表現されていないと曼荼羅として意味を成しません。(個別の小さい曼荼羅は別です)
意味
何を表現したいのか、何を言おうとしているのか多少意味合いが薄い場合もありますが基本的には意味をしっかりする必要があります。仏教の中で説く知恵に沿ったものを表現できると良いでしょう。
本質
これは少し難しいのですが良いとか悪いとかを超えた本質を掴んでいることが重要です。それにはある程度勉強が必要です。究極的には大楽(たいらく)が表現できるのが良いのではないでしょうか。
ゆるくてもいいところ
衣
衣の布の巻き方など細かい決まりがあるようですがこれは教えという面においてあまり意味を持たないのでかなり具象化できると思います。だからといって普段着を着せてみたり水着を着せてみたり飛びすぎている表現は論外だと思います。
髪の毛の巻き方
これも厳密に研究すると決まりがあるようですがたいした意味をもたないし、仏教の教えとしても、もっと源流の方までたどっていくと日本的な細かい決まりはありません。日本の仏像は荘厳に出来ていて源流の仏教画はそこまでの緊張感を持っていません。むしろゆるくてなじみやすいものが多いです。
手の水かき
指と指の間に水かきがあって地獄に落ちる人々を救い上げるという意味を持ちますがまぁそれだけの意味しか持ちません。ごく当たり前のことなのでこだわることはないでしょう。つけてもつけなくてもと思います。(写実的に表現したい場合はつけた方がいいかもしれません)
首飾り腕飾り
これは決まりがあるかどうか良く分りませんが、かなり複雑な形をしています。具象化したものを描けばいいと思います。知恵を色々と持っていることを表すためにそれを飾りで示しているのでその意味を外さなければいいと思います。
如来なのか菩薩なのか
これは結局のところ目指すところは一緒なのでどっちでもよいです。いちいちこういう小さいところにこだわるのは宗教家として心が狭いです。たいしとことないです。そこが、こだわるところではありません。もっと教えの本質をつかむよう心がけましょう。ただ、絵を描いていて題名をつけるときは間違いないように調べてからつけましょう。適当な名前を作り出さないように注意してください。
ぱっと思いつくところを箇条書きにしましたがまだまだおさえるべきところ、ゆるくてもいいところはあると思います。なかなか芸術も宗教も言語化するのは難しいことです。
特に私はボキャブラリーが貧困なために・・・・スミマセンm(_ _)m
仏教画を芸術で表現することははじめのうちはうまくいかないかもしれません。しかし、地道に意味を理解していけば本質が表現でき最高の芸術作品が作れます。なかなか参考になる文献がないので、わたしのブログでおさえるべきところを参考にしていただければと思います。
◆最後まで読んでいただきありがとうございます。お疲れ様です。IKKAI(いっかい)でした(^v^)v